バックパッカー旅日記 ~ロシア・ハバロフスク~ [バックパッカー]
私がロシア旅行で樺太からハバロフスクを巡ったときの旅日記です。樺太編はこちらです。
http://elbram.blog.so-net.ne.jp/2009-11-07-1
なお、その他の地域を旅行した際の旅日記はこちらの記事にリンクが貼ってあります。アドレスはyahoo!ジオシティーズのものです。
http://elbram.blog.so-net.ne.jp/2009-09-08
~ハバロフスク~
ユジノサハリンスクから1時間。とうとうロシア本土への上陸。サハリンでの搭乗手続きや荷物チェックは、極めて厳重なのに、機内は自由席だったり、力の入れてる部分と、適当な部分の差がいかにも共産時代の名残りと思わせます。
極東の離島サハリンから到着したせいか、まず市街地の賑やかさに驚きました。これがモスクワ経由だったら、単なる極東の片田舎にすぎなかったのかもしれないのに。
繰り返しになりますが、やはり事実は捉える側によってその姿を多様に変えていくのです。
まず何より、存分に本土の恩恵を受けています。民主化の経済流通の波を上手く乗りこなし、繁華街(が存在する)には、西側のメーカーショップが並び、市内交通網も緻密に整備されています。
3本の丘に並行して開かれた街は、それぞれが急な坂道で繋がっているので、バスやトラムといった交通機関は市民にとって欠かせない移動手段となっています。
しかしながら、資本主義化後に入ってきたと思われる新らしいバスと、ガラスも割れてエンジン剥き出しの、明らかなソ連時代のお下がりのバスが一緒に走っているのを見ると、まだ市場は道半ばであるという印象も残りました。
例えば、「サービス」という概念が旧東と西ではだいぶ違うと感じました。バスやトラムを例にすると、当たり前のように清潔を保ち、運行ダイヤを大切にし、顧客の接遇を第一にする我々と違って、ここでは運行していることが何よりのサービスのようです。遅れや汚れを気にすること自体ナンセンスなのです。誰もがそんなことは気にしません。
むしろ、バスが“来て”、“乗れて”何が不満なの、歩いて坂を登るの?と不思議がられるでしょう。
ロシアにではどこの街でも「レーニン広場」「レーニン像」があります。このレーニン広場からは、都会的な発展した街並みが広がるのが見えます。
街の西端を流れるアムール川の対岸はすぐ中国。ここでは、中国系の人達や文化も数多く行き交い、相互に影響を与え合っています。美術館では、樺太よりもさらに中国系の文化の影響が色濃く感じられました。
写真は赤軍博物館です。さすがは元共産国家、物々しい施設も公開されています。それらの展示物を見ると、ロシア(ソ連)の歴史は、いや、もしかしたら世界の歴史は、そのほとんどが戦争、争いと共に刻まれてきたと言っても過言ではないかも知れない、と改めて感じました。
実際に大戦で使用された戦車や砲台、司令室のレプリカ、引退したミグ戦闘機等、生々しい展示が続きます。日露戦争の遺品、名前の刻まれた破れた日の丸等も展示されていました。
その中には、当時の月刊グラフ1948年7月号が。左下には、「僕らは捕虜になってもソ連で元気にやっています」との見出し。まだまだ言論の自由へは程遠かった時代を印象付ける表記です。何をもって「元気」と根拠付けているのでしょう。帰らぬ親族を、せめても慰める情報操作なのでしょうか。
今現在の「平和」とは、“核”で緊張し合った「平和」とは、その「平和」とは、果たして「平和」なのだろうか、と巡るめく思考が、螺旋の中で回り続けていくのでした。
ハバロフスク駅前のハバロフ像。街の名の由来となった人物です。この街のレーニン像よりも大きかったのは意外でした。
色々と物思いにふけるロシア旅行はこれでお終いです。最後までお読み頂きありがとうございました。よろしくばその他の地域の旅日記もご覧ください。
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
by 履歴書の書き方 (2014-01-08 12:22)